76 年前の誓い

こんにちは。 はなです。




姐さんかぶりでお手伝い〜




と言うのも、例によってヘタレおばさんの emihana は目下

パパさん、ママさんの住んでいた実家マンションの

片付けに追われている様子なのです。



パパさんの方は新しい棲み家であるママさんのいた施設へ

無事引っ越して、毎日何だかご機嫌でやってるみたい。

部屋の中は完全バリアフリー、車椅子で動くのも楽になったし

お風呂は自分の部屋で週2回入れてもらえるし

お食事もとても美味しく、スタッフさんにも親切にしていただいて

着々と自分の暮らしのペースを作りあげているので

娘としては一安心だとか。


ただ、老夫婦が12年間住んでいたマンションに残された荷物の多さには

心底驚き、ひたすら手を焼いているそうで


「ああ・・・断捨離って、やっぱり、ほんっとに大事だわ・・・」

明後日の荷物の搬出(処理業者さんに依頼済み)を前に

しみじみ呟いてましたよ。



それはともかく・・・

実家の片付け中に、ママさんの書いた膨大な日記を発見。

さすがに捨ててしまうのも気が引けて、とりあえず家に持ち帰ったのですが

そこには、若き日のママさんが書いた日記も混ざっていたんですって。



昭和15年、15歳の女学生ママさんの日記です。



emihana がまずびっくりしたのは、当時の女学生は字が上手だと言うこと。

確かに、ただでさえ古い漢字はなんだか難しいのに

万年筆でちゃんとした字を書けるなんて、すごいですね。




松坂屋デパートで押したらしいスタンプ。



「紀元二千六百年奉祝展」しかも右から左へ読む!



いかにも時代を感じると、emihana は言っていましたが

昭和15年と言えば、太平洋戦争が始まって4年後。

日記の中に「教練」とか「○○先生が戦死された」とか

そんな記述があるにはあっても、「パンを買って食べた」とか

「アイスを買い食いした」(食べてばっかり)「新しい靴を履いた」

なんて書いてありましたから、まだ物資も手に入って

国民生活が困窮してはいなかったようですね。


当時の女学生は、もちろん今とは比べ物にならないほど

情報も遊びも限られていたと思います。

スマホもアイドルもSNSも何もなかったんですから。

だけど、それなりに寄り道したり、宿題をサボったり

休みの日に寝すぎて叱られたり、友達とけんかしたり仲直りしたり

今の女の子たちだって、同じようにやってるだろうなぁって

言うような、当たり前の日々を生きていたわけです。


何も、戦時下に生きてたからって、特別な人たちじゃない。

普通のどこにでもいる女の子たち。数十年前の私たちと同じ。


そんな彼女たちがこのあと少ししたら、食べるものにも困ったり

空襲にさらされたり、あるいは家族や友人を失ったり

否応なく戦争の渦の中に巻き込まれて行くんですね。


私は犬ですけど、あの戦争の最中、たくさんの仲間が

人間と同じ運命をたどったのは言うまでもないことです。




さて、そんな時代を生きていた少女のひとりであるママさん。



その15歳の誕生日の日記です。



「電車の中でつらつら考ふるに今日はあたしの誕生日であった。
 ああ、此の世に生まれてもう十五年たったのか。
 さあ未だこれから先は長いのだ。
 百歳は生きなくては。・・・後略・・・」



「・・・長生きする人って、昔から違うんだなぁ・・・」


ソファに腰を下ろして日記帳を開いていた emihana は

人生の真理をひとつ見出した修行僧のように

マリアナ海溝よりもっと深いため息を吐いたとか・・・


なんと、そんなemihana の子供時代(おそらく7歳くらい)の日記も発掘!



思い切り「昔感」の漂う表紙。





どうやら、「ウエストサイド物語」のリバイバル上映を観た模様。

へたっぴな文字はご愛嬌ですが

左のイラスト、これがジョージ・チャキリスって・・・どうよ。




あ、これは10歳の誕生日の私。特に何も誓ってません・・・