はなの旅立ち 2

こんにちは。emihana です。


何だか間が空いてしまいましたが、前回に続いてご報告です。




さて、はながおかしくなってから4日目、獣医さんに連れて行ったわけですが

結論から言うと、もうこの時、何か積極的な治療が行える段階ではありませんでした。

行く前から、すでに私たちもそのことはわかっていましたし

もう、あの状態のはなに対して獣医さんに望むのは

少しでも栄養と水分を体内に入れてやってほしい、そのことだけだったと思います。

何しろ、もう、少なくとも3日間は食べ物は一切、水分もごくわずかしか

摂っていなかったからです。


以前にも書きましたが、獣医さんのお話では、あの時のはなの症状そのものは

痴呆から来ているとか、前庭疾患から来ているのではなく

これまで気付かなかった他の病変が右脳にあって

それが影響している可能性が高いと言うことでした。

前庭疾患なら当然出るはずの眼振が一切見られなかったのです。

ただ、原因を突き止めるためにはMRIを撮って調べる必要がありましたが

そのこと自体が今のはなちゃんには致命的な消耗を与えかねない

そう言われました。

即座に「それは必要ありません」お父さんは答えていました。

私も全く同じ気持ちでした。


そもそも、約一年前、その獣医さんに診察をお願いする時に

とにかく余計な検査や延命治療は一切望まないので

少しでも穏やかに苦痛なく余生を送らせてやってほしい

それを一番最初にお願いし、先生も快く受け入れてくださっていたのです。


普通の点滴は心臓に負担をかけるので、輸液を皮下に入れることになりましたが

水分はともかく栄養に関しては、気休め的な効果しかないとのことでした。


はなもう口から物を食べられる状態ではありませんでした。

先生も、もう何を口入れても受け付けませんよ、そうはっきりおっしゃいました。

コメントで色々とアドバイスをくださった皆さまには

本当に申し訳なかったのですが、私はもう二度とはなが食べ物を

口にすることはないだろうと、何となくそうわかっていました。


なんで少しでも可能性のあることを試さないのか、そう言われてしまうと

返す言葉はないのですが、無理をして、何かを強いることは

絶対にしたくありませんでした。

それがはなに更なる苦痛を少しでも与えるのなら、何もしたくはなかったからです。



10分ほど診察台に横になって、輸液を入れる間

他の患者さんを待たせる状態になりましたが

先生は何もおっしゃいませんでしたし、タオルを敷いてくださったり

看護婦さんがずっと管を押さえてくださって、はなと同じ目線になって、

顔を優しく撫でてくださったり、そんなことを目の当たりにして

私は先生がこの時、はながもうあまり持たないことを

わかった上で配慮してくださったのだと何となく感じていました。


はなは、家に帰りたかったのか、苦痛が大きかったのか

怪獣の声で時々鳴き、その度、お父さんと私は声をかけました。


はなのその声は、犬の鳴き声のようにはとても聞こえず

車のクラクションのような、タンチョウヅルの鳴き声のような

甲高い、短い、鋭い声で、鳴かれるたびに、心臓が鷲掴みにされるような

そんな声だったのです。


私は先生に「鎮静剤」についてたずねました。

今のところは必要ないけれど、もし夜中ずっとこんな風に鳴き続けることがあったら

そろそろ飲ませることを考えた方が良いのかと、そううかがいました。

「私が先に倒れてしまってはいけないので」

先生にはそう言いましたが、実は、それはもちろんあったのですが

こんな鳴き方をすると言うのは尋常ではない苦痛を訴えているのだから

その苦痛を何としても止めてやりたい、そう考えたのです。


鎮静剤を使うことは心肺機能を弱めることがあるのだと

前から説明を受けていたのですが、もうこの時には

たとえ心臓が止まったとしても苦痛を取ってやることを最優先しようと

決めていたのでした。

先生は、いつでも処方しますよ、そうおっしゃいました。

投薬に慎重な先生の言葉を聞いて、私の確信はまた深まったのです。


はなは頑張っているじゃないか、それなのに、そんな勝手なことを・・・

自分の中にも葛藤がなかったわけではありませんが

その声に蓋をしてでも、最後だけは、少しでも楽に逝かせてやりたい

そんな気持ちがどんどん大きく膨らんで行きました。


はなが旅立って何日かしてから、お父さんは

「あの時、獣医さんで、どんなにお金がかかってもいいから

 とにかく助けてやってくださいと、言おうかと思った瞬間があった。

 でも、それでははなの苦しみを長引かせると思ったから

 ぐっと飲み込んだ」

そう話したのを聞いた時、お父さんの愛情の方が深かったのかもしれないなと

思いましたが、いずれにしても、「苦痛なく送ってやる気持ち」は

この時、もう、固まっていたように思います。



家に帰ったはなは、すっかり疲れたのか、輸液の影響なのか

横になって、眠ったようでした。


けれど、熟睡はしていなかったと思います。

物音には反応していましたし、時々、薄っすら目を開けていました。


そして数時間後目を覚ますと、また時々バタバタと手足を動かし

大きな鳴き声を上げての「動かして〜」「回らせて〜」が始まったのですが

まだまだそれは、その後始まる「最後の一夜」のほんの始まりにしか過ぎませんでした。


はなの最後の夜の話については、また次回、書きたいと思います。




ちびすけだった頃のはな